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特集記事 私のインターンシップ(3) (2004/03)


インターナショナル・インターンシップ・プログラムス

東京事務所 所長 池田 吉和

1972年2月18日に日本を飛び立ちました。出発の前日まで家族の理解は正しく得られませんでした。資金も十分でなく、複雑な心境と不安で一杯でした。当時は、アメリカ行きの航空券を買うにしても割引が無く、今ならビジネスクラス並の正規料金を払っても団体客と同じエコノミークラスでの旅でした。


最初のアメリカ本土はワシントン州のシアトルでした。アメリカは治安が悪いと聞いており、一人旅でもあり、空港でもどこでも着くなり持ってきた鎖で荷物を柱などに結んだものです。当時のワシントン州は別名ボーイングの街とも云われ、飛行機の受注が州の景気を左右していました。1972年は不況で雇用者の解雇があり、不景気故か、季節故か、陰鬱な雰囲気でした。ビル・ゲイツのマイクロソフト社はまだありませんでした。

幸いシアトルには父親の知人のアメリカ人がおり、市内のWashington AtheleticClubという宿泊施設もあるクラブに泊めてくれました。この時、年寄り夫婦で奥さんが病気で家には泊められないからと謝られたことには恐縮しました。宿泊したクラブの形態は、会員が互選で運営する会員本位の会です。多分、皆さんもご存知とは思いますが欧米社会は、ある意味それぞれのクラブを中心に動いているといっても過言ではないでしょう。市内には他にもレニエクラブ、その他、一種排他的なクラブが今でもあります。映画等でもそこでの会合の場面がよくでてきます。日本でクラブが普及しないことをふと、不思議に思います。

日本でも新聞を読むことが好きだったので、早速現地の新聞を辞書で引きながら読みました。新聞やテレビ等はその社会の動向、一般的な情報を得て、日常生活を知る点で効果的な方法の一つでしょう。特に外国人が滞在先の情報を得るには活字情報である新聞(現在であればインターネットも)はテレビやラジオよりも便利です。好奇心から、かなり隅から隅まで読みました。日本の新聞とは異なり、地元の新聞が多いことに興味を持ちました。冠婚葬祭もそれぞれ詳しく、普通市民の動きが小さくとも記事になっています。これから自分がしなければならない下宿探しの参考にもなりました。ほんの10〜20セント位ですから、こんなに経済的な情報源はありません。そして、人との話題を見つけるにも有益です。ちょっと細かい話題を出すと相手は「何故まだアメリカに来て数日の日本人がそんなことを知っているのか」と驚きました。種を明かせばなんでもないのですが。英語の訓練からも極めて有益かつ、実践的でした。

皆さんは滞在先で生の情報をどのように手に入れますか?

(次号につづく)