智原 隆之 さん (男性) |
日本にいた時の様に仕事ばかりせず、アメリカでは視野を広げていろんな経験をすることを心掛けていました。
ホストカンパニーの社長Johnと日常業務とは別に何の仕事に取組むか数回話し合いました。
私は英語の勉強がしたいと相談し、話合った結果「AutoCAD」のマニュアルの英語を勉強して図面を製図しようと決めました。
英語を理解するのは難しかったのですが、日本にいた時と違い沢山英語の勉強が出来るのが嬉しく思いました。
辞書を片手にマニュアルを見ながら、実際にコンピュータで図面を描きました。最初に仕上げた図面は苦労して2日掛かりましたが、10枚以上の図面を描いた後は思い通りに使えることが出来ました。
英語の勉強だけれども仕事にもなると考え、次に何に取組むか話し合いました。ところがJohnは「FrontPage」を勉強して私のホームページを作成する様に提案してきました。ですが私は自分のホームページには興味が無く、技術職の仕事をすることを強く主張しました。何回か話合ってホストカンパニーのホームページを作成することで話しはまとまりました。
取り扱っている製品のリストを作り写真を添付してホームページを更新しました。
http://www.microtherm.com/home.htm
今もそのページを見ることが時々あり、頑張った日々を思い出し励みに思います。私は体調を崩したり辛い気持ちになることも多くありましたが、1日も休むこともなく頑張りました。遅刻するどころかミーティングが始まる1時間前に出社して、英語の新聞を読んだり英語のエッセイを作ったりして時間を活用しました。
私は英語だけでなく異文化にも興味があり、ホスト先からも配慮して頂きました。互いの教育や文化や家族についてもいつも楽しく会話をしました。出張に行き多くの人々と会い、時にはフロリダからテキサスまで車で移動し企業セミナーに出張したり、ホストカンパニーと展示会に出席したりしました。日本人が珍しかったのか、行く先々で歓迎してもらいました。
多くの人の出会いを通して異文化だけでなく、コミュニケーションの素晴らしさを感じました。それらの経験がその時も今も、英語を勉強し異文化を経験することの活力です。
「ホームシックになりましたか。」と聞かれる事があり、私は笑って答えました。「はい、ホームシックです。でもそれは沢山の気持ちの1つです。楽しい、嬉しい、辛い、驚き、期待そんな沢山の気持ちを持っています。」と答えました。
私の答えを聞いた人も笑っていましたが、それは本当に素直な気持ちでした。
異文化の中で、ホストカンパニーの人達と多くの気持ちを分かち合い、支えて頂き困難を乗越えて来ました。英語と異文化だけでなく、人々の出会いを通して良い経験をして成長することが出来たのではないでしょうか。
|
参加時の年齢:31歳 |
研修期間:12ヶ月
2004/03ー2005/03 |
研修国:USA |
|
智原隆之さんの インターン手記 [平成17年3月6日]
|
異なる文化や習慣及び社会を海外の生活を通して理解する事を志し、その希望を実現する事が出来ました。また、実際にアメリカの会社で働き、社会の組織や構造の多種多様な側面を踏み入って考察する事が出来ました。
アメリカの会社Microtherm Inc.に於いて、2004年3月から翌年3月までの一年間インターンとして従事しました。Microtherm Inc.は電子機器の製造メーカで、農場で収穫後の落花生や玉葱等の農作物の乾燥工程に於ける乾燥機システムの電子制御システムを製作しています。インターンまでの日本でのキャリアは電気計装の分野であり、電子の分野での仕事は未経験でしたので、アメリカで電子の分野について理解するのは難しく思いました。日本では業務を任せれ、個人単位で働いていました。しかしMicrotherm Inc.が電子の分野であり、私に未知の物事を理解するキャリアや英語のスキルが不十分でしたので、日本の時の様な個人主体では働きませんでした。
より深く英語やビジネススキルを習得する事は、アメリカでの生活の目的の一つでした。その目的を理解していましたが、日本での個人主体の業務とアメリカでのチームワークの業務の違いには戸惑いました。物事を仮定して仕事に取組まず、いつも人々とのコミュニケーションを取りながら仕事内容を把握し、チームワークで全ての困難を乗り越えられました。異なる仕事の取組み方を経験した今では、個人主体で働く努力とチームワークで働く努力はどの様な環境であろうとも大切だと思います。私達はコミュニケーションの中で、仕事だけでなく互いの文化や生活についても話し合いました、そして多くの物事を学ぶ事が出来ました。学ぶ事は働く事よりも多く存在すると痛感しました。
私は車を持っておらず、アメリカで生活するのは大変でした。しかし逆に多くの習慣や社会そして人々を知る事が出来ました。私達は歩く事で未知の場所に詳しくなれると思います。車ではなく歩く事によって、より多くの景色を眺めたり空気をすったり雰囲気を感じたり出来ます。歩く事により文化を知り、その経験が視野を広げてくれました。そして何よりも多くの出会いがありました。
日本にいた時に希望していた様に、私は毎日英語を話し、そしてアメリカの文化の中で過していました。アメリカの人々は至る所でコミュニケーションを取ります、バスの中やレジのカウンターやレストランそして路上に於いてもです。挨拶でコミュニケーションを取る事はごく普通であり、時には会話に繋がります。アメリカに到着してからの一ヶ月間は会話について行けなかったので、どの様に話すべきか分りませんでした。ですが、話す事の改善として気持ちを切替えました。習得した通りの英語を話し、互いの気持ちを大切にする事を心掛けました。そして、コミュニケーションが取れる様になったのです。
私の英語の語学力は、アメリカに到着する前の倍位に上達した様に思えます。上達しましたが、今よりも倍それ以上に上達したいと思います。自分自身の成長そして英語の能力を高める事を考え、英語の学習を続けるつもりです。英語の語学力を高めるのと同じ位に、経験や視野を広げていきたいと考えています。これまで、私の人生は広がりあるものでしたし、今後も様々な環境で広がるでしょう。そして、広がり行く人生の中で多くの出会いを楽しみにしています。
私が困難を抱えている時、多くの人に親切に支えてもらいました。その親切は決して忘れる事はないでしょう。人々は寛容であり親切でしたので、私は困難を乗越える事が出来ました。人々の支えがあったからこそ、私の希望は実現したと思います。優しく支える事は、英語を流暢に話す必要はありませんが、相手を思いやる心が必要です。人々の間には、言葉よりもむしろ優しい心が大切に思えます。
|