言葉、コミュニケーションがいかに大切かという事 高林 仁さん |
|
フィンランド | |
私は2001年10月から2002年10月までの1年間、スクールプログラムを通じてフィンランドにて活動しました。以前から世界の出来事、海外、特にフィンランドという国に興味を持っていました。大学で国際理解について学んでいたので国際交流・文化交流といったことにも関心がありました。そんな時、新聞でインターンシップの広告をながめていると研修国例の項目にフィンランドがあるのを発見。これだと思い、さっそく資料を取り寄せてみました。当時大学卒業後の進路について考えていた頃だったのですが、検討した結果、卒業後のフィンランドでのスクールプログラム参加を目指すことに決めました。試験を受け、合格。はれて憧れの地フィンランドへ向かうことができました。 私はそれまで海外で長期間滞在したことがなく、学生時代にアメリカ・カナダを旅行した事がある程度でした。語学力の方も英語は過去に英検2級を取得した事があるぐらいで、フィンランド語に関してはまったくの素人でした。研修開始前に語学学校等で準備したかったのですが、活動資金を捻出するだけで精一杯の私には無理でした。数少ないフィンランド語の参考書を購入し、独学で勉強しました。ただ後に現地でその参考書があまり役に立つものでないことがわかるのですが・・・。行けば何とかなるだろうと、少しの不安とおおきな期待を胸に出発したのを今でも良く憶えています。 フィンランドでの生活は、とても有意義で特別な1年となりました。日本とは大きく異なる新しい環境で多くのことを学び、感じ、言葉ではうまく表現できませんが、ここで得られた経験は人間として私を成長させてくれました。1年間で公式には3ホストスクール、6ホストファミリーということでしたが、ホストスクールから隣の学校へも行くように頼まれたりして、最終的には5ホストスクール、10ホストファミリーという形になりました。フィンランドでは各学校がスケジュールなどを決められるようになっており、各学校で始業時間が違っていたりして、ホストスクールが変わる度にその学校のスケジュールに慣れなければならなかったので幾分大変でした。途中からは違いを楽しめるようにもなっていました。私にとってよかったのがホストスクールの大半が田舎の全校生徒数が50人以下の小さな学校だったことです。また驚いた事が食事の時間です。一般的にフィンランドでは1日に5回食事の時間があり、朝食〜昼食(学校給食では大抵10時から11時の間)〜ティータイムを兼ねて軽食(2時から3時頃)〜夕食(5時頃、多くの働いている人は4時頃には帰宅し家族で食事するのが一般的です)〜そしてティータイムを兼ねて軽食(9時頃)といった様に。あと子供達が先生のことも名前(ファーストネーム)で呼ぶ事です。先生だけでなく大人も子供も同じように名前で呼び合います。もちろん先生と呼ぶ事もありましたが、名前で呼ぶ事の方が多く見受けられました。肩書きにとらわれることなく個人を尊重するという意味でとても良いなと思いました。 私の学校での活動はというと、不馴れな英語・フィンランド語の為に最初の頃はホストスクールの方々にはいろいろとご迷惑をかけ、お世話になったと思います。みなさんに親切に教えていただいたり、私自身もただ毎日必死でした。子供達とも毎日積極的に休み時間に遊んだりしているうちに、彼らもまたフィンランド語の先生になってくれました。そこで感じた事は、言葉、コミュニケーションがいかに大切かということ、その難しさを痛感しました。それと同時に必死にがんばっていれば下手なりに認めてもらえるということです。子供達、先生方だけでなく保護者の方々にも「子供はあなたのことをいつも話しているのよ。みんなあなたのことが大好きよ。」と言ってもらえた時はとても嬉しかったです。子供達、先生方に一番人気があったのは、折り紙と相撲鑑賞・紙相撲でした。折り紙はどこでも好評でいろいろやりました。ときには幼稚園で、休み時間に先生方に、休日にはご近所のみなさんにと。子供達からのリクエストも多かったです。そしてビデオでの相撲鑑賞と紙相撲です。ビデオ鑑賞後、クラスでの紙相撲大会(トーナメント)は大好評で、みんな大きな声で応援したり大興奮でした。中には負けて泣く子も。先生方にも好評で小さな学校では全校大会も開催されました。先生曰く、小さな子も大きな子も一緒になって同じことを楽しめるのがとても良いとのことでした。 活動中、楽しい事(大半はそうでしたが)、辛い事、本当に様々な事がありました。フィンランドの文化を学んで、日本を伝えるということだけでなく、社会勉強にもなりました。そうしたひとつひとつのことを経験し乗り越えてきたという事が、私にとって何より意味のあることだったのだと思います。研修中私は活動記録と日記をつけていたのですが、それを読み返すたびにそう感じます。研修地を去る時には、その地域にもすっかり溶け込んでみんなから別れを惜しまれるようにもなりました。「今度はいつ来るの?いつでも帰っておいでね!」と。私にとって遠い北欧の地に家族や多くの友人がいる第2のふるさとができたかのようです。この1年間の経験は私にとって宝物となりました。それは多くの方々の協力があってのことであり、研修を通じて出会った子供達を含め全ての人に感謝しています。 |