「モナリザの微笑み」に魅了され、 お給料は全部イタリアにつぎこんだ 竹沢美樹さん |
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イタリア | |
竹沢さんとイタリアとの関わりは今のようなブームのずっと前、何しろ小学生の時に美術館で見た、かの有名な「モナリザの微笑み」から始まっている。その後レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記を読み、中学2年でイタリア人の女の子と英語で文通を始め、卒業旅行を兼ねた語学研修で初めてイタリアへ。「でもその1ヵ月はとても緊張したので、もう十分という気持ちでした。文通だけは続けていたのですが、就職もしたので再び訪ねたのは7年後」文通相手の結婚式に招待され、以後「イタリア語を習うのとイタリア旅行のためにお給料が消えていく」という日々が続く。10年勤めた建設会社を辞めるのには覚悟が必要だったが、会社の業務縮小を機に長期滞在を決意、インターンに応募する。最初の赴任校はミラノから南へバスで30分、田んぼの真ん中の7クラスしかない中学校の分校だった。生徒たちにとって日本製バイクや「北斗の拳」などのアニメ、「たまごっち」まで普及しているわりには、日本についての知識は誤解だらけ。「日本人はどんな格好してるのか、蛇や犬を食べるのか、床に寝るって本当?なんて質問がくるんです。彼らが土足で歩き回っている床をそのままイメージしている。だから畳のことから説明が必要でした」宗教や国民の祝日の由来など、聞かれてあわてて調べたものもある。当たり前過ぎてこれまで考えたこともなかった自分の国が、おぼろげながら少しずつ見えてくるのはなんだか楽しくもあった。後半はミラノ北部の大きな中学校にも移動。滞在した幾つかのホストファミリーのうち、特に仲良くなったのは、40代の学校の先生のカップルだった。「日本料理や日本語にとても興味をもってくれて、内面的なことも含めいろいろ話すうちに、本当の友達になれたんです。簡単な表現やことわざなどイタリア語がかなり進歩して、わかったフリをするのでなく、それは何?とちゃんと聞けるようになった」それでも文法は複雑だし、単語も限りがない。6ヵ月の活動を終えて帰国してからも、「いつかイタリア語を生かせるような仕事につきたい」と、週1回はイタリア語講座に通っている竹沢さん。二つの国をつなぐ道はまだまだ先に続いている。 |