部屋をシェアするのも何軒も周ってみましたが、大学街ではないせいか、質的にも量的にも余りよい物件は無かった様でした。とにかく車が必要不可欠な社会での生活は想像以上に大変で、途方にくれ、見知らぬ人の世話になった事も度々でした。家探しで幾つもの場所に行き結局、車を買うことを頭において、ホワイトプレーンズという市の静かな住宅街にある家の二階に下宿することになりました。
大家は別居中のユダヤのラビの奥さんで、マンハッタンヴィル大学の事務で働いていました。家賃は、良い地域なので高かった記憶があります。ニューヨークのユダヤ人の多く住むスカースデールも車で5分、アメリカでもニューヨーク市へ通勤する人達の住む豊かな地域でした。ご存知の通り、欧米では何処に住んでいるかで大体収入がわかり社会的地位が結果として分かる様になっています。商業、工業、住宅街はゾーニングで明確に区分され、高級地はそれだけ税金が高く自動的にそこに住む人を決めてしまいます。中世までの日本は住む地域が階級別にある程度になっていたかもしれませんが、今は他のアジア諸国同様、お好み焼き状態です。
さて住居は決まったものの、決まりで自炊のための台所も冷蔵庫も使用できない契約で、外食一本ということになりました。「窮すれば通ず」という諺がありますが、何とかなりました。二階の自分が借りている部屋に小さな電熱器を買い、簡単な自炊はやっていました。無論、大家さんにある程度うまく許可を取ってのことでした。
テレビも無く、新しく買う金も無く、何がおきているかを知る手段として安いラジオを買いましたし、新聞(NYタイムス)も大家とは別に購読することにしました。外国に行った場合、よく観光などで周辺を歩いたり、有名な観光地を訪ねたりするのもよいのですが、その国、その町、人々を知るにはその国の大半の人がしていることを、そのまますることでしょう。ニューヨークといってもマンハッタンから30〜40分の所ですが、ある程度の人達は必ずと言ってよいほど、NYタイムスを読んでいましたし、読まずには人と話が合いません。滞在中、最も重要なこととして新聞を辞書で引いたり、人に聞きながら解らない点を聞きました。面白かったのは仕事探しの広告欄にgirl,
boy friday募集とあって、いくら辞書を引いてもわからないので人に聞いたら小説のロビンソンクルーソーに出てくる何でもやる地元の少年から転じて、便利にちょっとしたことをこなす職場の便利屋だとわかりました。
(次号につづく)
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